kodokuforum’s blog

孤独について語り合う広場です。さみしい孤独もあるし、楽しい孤独もある。どんな孤独でもいいから、気が向いたときに読んだり投稿したりしてください。

イギリスの孤独

「あまりに多くの人たちが孤独に直面しているというのが、現代生活の悲しい現実です。これは、社会にとっても、私たち全員にとっても大きな問題です。高齢者、介護者、愛する人を喪った人々、いえ、自分の思いや体験を語ったり話し合ったりする相手が一人もいない人たちが、じっと耐えている孤独に、私は手を差し伸べたいと思います」 テリーザ・メイ(英国首相)

For far too many people, loneliness is the sad reality of modern life. I want to confront this challenge for our society and for all of us to take action to address the loneliness endured by the elderly, by carers, by those who have lost loved ones – people who have no one to talk to or share their thoughts and experiences with.” ―Theresa May

2018年1月18日、「孤独担当大臣」のポストを新設し、トレイシー・クラウチ大臣(スポーツ・市民社会担当)を任命したという発表の中の一節。
2016年に極右過激派の男に殺害された、労働党ジョー・コックス党首の遺志を引き継いだ「ジョー・コックス委員会」が赤十字社など13の福祉団体と連携して、2017年に約1年間かけて調査し、政府に提出した「孤独」に関する報告書によると、

  •  国民の900万人以上の人々が孤独を感じており、その3分の2が「生きづらさ」を訴えている。
  • 月に1度も友人や家族と会話をしないという高齢者(65万人)の人口は20万人。週に1度も会話をしない高齢者は36万人にのぼる。
  • 身体障害者の4人に1人は日常的に孤独を感じており、18〜34歳では3分の1以上にのぼった。
  • 子どもを持つ親たちの4分の1が孤独を感じている。
  • 400万人以上の子どもたちが孤独を訴え、チャイルドライン(相談窓口)の支援を受けた。

 イギリスの2017年の総人口は6,600万人だから、ほぼ七人に一人は孤独のなかで暮らしていると言える。ただし、それは社会問題となるような孤独で、むしろ社会的孤立と呼ぶべきかもしれない。

 実は、英国は歴史的に孤独な国なんだ。孤独の寂しさとともにその味わいも十分知っている人たちの国なんだ。

 

孤独とワイン

「若いころには苦いけれど、熟年になると味わい深くなる、そういう孤独の中で私は生きてきた」

  アルバート・アインシュタイン 宮本レオン訳

I live in that solitude which is painful in youth, but delicious in the years of maturity.”

Albert Einstein

 アインシュタインにとって、孤独というのはワインと同じように熟成していくものだったんだろうね。

ワインはブドウに含まれる糖質をアルコール発酵させてお酒として出来上がった後も、保存状態がよければ歳月を重ねるにつれて芳醇な香りと味わいをもつようになる。

僕たちの孤独もそんなふうならいいのだけれど、下手をすると酸っぱくなったり、腐敗してゆく一方だったりする。今、熟年ばかりじゃなく、子供から中高年まで、すべての世代にわたって、そんな「酸っぱい孤独」や「腐敗した孤独」が広がっている。

いや、「腐敗した孤独」なんて、ちょっときつすぎる? ただ、少なくとも心地よい孤独ではないことは確かで、最悪の場合、自殺願望へと向かうことさえある。しかもその傾向は年々悪化している。

なぜか?

経済的な貧困から? 生きる目的が見えなくなっているから? 孤立感のただなかで何をどうしていいやらわからなくなっているから?

そう、そのすべてがからんでいるかもしれない。でも、それは二義的な、あえていえばとってつけた原因でしかないと、僕は思う。

では、何が本当の原因なのか?

それをじっくりと考えながら、徐々にお話ししていこう。

 

孤独という名のコージーコーナー

「じっと黙っているほうがずっと良い。 このコーヒーカップ、このテーブルみたいに。私一人で座っているほうがずっと良い、あそこの杭の上で翼を休めているあの孤独な海鳥のように。 永遠にここに座って居させて。素のままのものたち、このコーヒーカップ、このナイフ、このフォーク、ありのままのものたち、ありのままの私自身とともに」
   ヴァージニア・ウルフ 『波』 宮本麗音訳
“How much better is silence; the coffee cup, the table. How much better to sit by myself like the solitary sea-bird that opens its wings on the stake. Let me sit here for ever with bare things, this coffee cup, this knife, this fork, things in themselves, myself being myself.”
 
 ― Virginia Woolf, The Waves

「孤独な状態がいちばんホッとする、安らぐ」という人は、けっこういる。
けれど、必ずしも孤独が好きでたまらないからそうだとは限らない。
むしろ、人間関係に疲れて嫌気がさしてしまったからというケースの方が多いんじゃないかな。
いろいろと気を使わないといけなかったり、相手に話を合わせなきゃいけなかったり、嫌な言葉や態度を我慢する必要があったり、話が通じなくてがっかりしたり……、とにかく疲れたり失望したりすることだらけ。
それぐらいなら、自分一人でいた方がいい。そうすれば、相手が期待する、あるいは想定している「仮面的自分」を演じなくてもすむ。つまり、ありのままの自分でいていい……。

ただ、その裏側には、もっと気が合う快適な相手がいたらいいのになぁという淡い期待や希望が潜んでいたりもする。

人間って不思議なもので、空想的理想像みたいなものをみんなもってるんだよ、幼いころから。つまり、誰の心のなかにも、現実の親とか友達とかとはまた違うイマジネーション世界での親や親友がいるんだね。

 いや、それよりももっと重要なかけがえのないイマジネーション世界での存在がいる。それは、君自身の空想的理想像だ。

想像してごらん。
君は今、心地よい片隅で、この画面を開いて、孤独ブランドの芳しいコーヒーの香りに包まれながら、その微妙な苦みや酸味がほどよくブレンドされたコーヒーを飲んでいる。そういうふうに、味わってほしい。君の孤独を、孤独な君自身を……。